神経症の概論 不安・パニック・恐怖・強迫症などについて lulu-web過去ログから

スポンサーリンク

 

本記事はlulu-web過去ログをリライトしたものです。元の原稿は1999年に作成したので内容的に古い記述も見られます。時代背景も大切な資料ですので、ほぼそのまま掲載しています。

スポンサーリンク

神経症の概論 

どんな人でも、一時的に不安になったり、同じことがどうしても気になってしまったり、ちょっとしたことが恐くて仕方なくなったりすることがあると思います。

神経症というのは、こうした「こころの揺れ」が固定化してしまうことで、その苦痛が続き、日常生活に支障をきたしている状態のことを言います。

精神病にかかった人は、自分の論理を通すためにある意味で社会的常識を捨てます。しかし、神経症にかかった人は、その社会的常識にがんじがらめになって、それをしないで済む言い訳を探しているような印象を受けます。

しかし、時代の流れからか、古典的な神経症症状を示す人は少なくなっており、神経症よりも人格障害と診断されるケースが増えているようです。

また、現在よく使われている診断基準であるDSM-4でも神経症という分類は用いられなくなっています。神経症概念とDSM-4の分類の対応については、[神経症とDSM]の項にまとめました。

神経症とDSM-IV

抑うつ神経症

抑うつ神経症は、軽度の抑うつ状態が長く続くことをいいます。

「離婚」「近親者の死」「リストラ」など、何らかのきっかけがあることが多いようで、対象喪失やモーニングとの関連が指摘されています。またストレスとの関連もあるようです。

特に、きっかけとなる出来事があったときに、素直に「悲しむ」ことができないときになりやすいようです。そうした出来事から時間がたった後に、気持ちの落ち込みを始めとする軽度の抑うつ的な症状が出現し、そのまま長引いて回復しなくなることが多いようです。

治療としては、抗うつ剤の投与が中心となります。場合によっては、カウンセリングにおいて、その場では体験できなかった「悲しみ」を再体験するという「喪の作業」を行なうことも有効だと思います。

ただ、この状態では「うつ」が内因性なのか、心因性なのか、神経症なのかを鑑別するのは難しいようです。

例えば、喜怒哀楽の感情がわかない場合は、うつ病を疑ったほうがいいのかもしれません。とはいえ、素人判断は危険ですから、なるべく医療機関・相談機関でみてもらうほうがいいと思います。

 

恐怖症

高いところが恐い、犬が恐いというは結構いますよね。

恐怖症というのは、それほど危険でもない対象や状況に対して、すさまじい恐怖を感じ、それを回避しようとするために日常の生活が脅かされるようになった状態をいいます。

DSM-4においては、「広場恐怖」「特定の恐怖症」「社会恐怖」の3カテゴリーに分類されています。

強迫症の対象には、いろいろなものがあります。例えば対人恐怖、外出恐怖、場面恐怖、動物恐怖、疾病恐怖、控訴恐怖、密閉恐怖などがあります。

日本においては、対人恐怖が多いようですね。これも軽いレベルであれば人見知りのような対人不安に過ぎないのですが、ひどくなると視線が恐くなったり、自分の体臭が匂うのではないかというような、やや分裂病性の病気のニュアンスがでてくることもあります。

どちらかというと、素直な感じの人におおいような印象があります。 特定のものを恐がるような人をからかったりするのは、くれぐれもやめましょう。

 

強迫神経症

強迫神経症(強迫性障害)のひとは、何かひとつのことをどうしてもやらずにはいられなかったり、何かの観念が頭に浮かんできて離れなくなったりします。

例えば、火の元を何回も何回も確認せずにはいられなかったり、手洗いに何時間もかかったり、人を見るたびにいやらしい観念がうかんだりするようなことがあげられます。

これらのことは、たぶん軽いレベルではみんなが経験していると思います。でも、そうした強迫症状(強迫行為、強迫観念、強迫衝動)によって、生活していくのが難しくなってしまうと、病気として治療しなくてはいけません。

この病気は、もともと几帳面だった人がなりやすいような印象があります。特に、問題となっている強迫症状を除けば、普段の生活に支障はないことが多いようです。

そして、強迫行動を繰り返すことに関して、自分でも馬鹿らしいと思っていても、やめることができない。「やめたいけど、やめられない」というジレンマ、つらさが強迫神経症にはあります。

まわりの人が強迫症状について話題にすると、かえって強まったりします。また無理やり止めると、そのために強い不安に襲われることがあります。そのため、まわりの人は「ちょっとしたクセ」という感じで接することが望ましいようです。

強迫神経症関係の書籍

迫神経症関連の書籍では「強迫性障害を自宅で治そう!」や「実体験に基づく強迫性障害克服の鉄則 」がよく読まれているようです。

また同じ作者の「不安神経症と強迫神経症が治る60章」「強迫神経症克服マニュアル」も見かけることが多いですね。

家族の立場からは「家族に贈る強迫神経症の援助法」などが援助する際の参考になるかと思います。

専門的なものですと成田先生の「強迫性障害―病態と治療」が抜群にお勧めです。また「強迫神経症の治療」はいろいろな技法が紹介されています。古典としてはサルズマン(成田先生、笠原先生訳)の「強迫パーソナリティ」を読むべきでしょう。
ちなみにDSM-4では、不安障害のひとつとして、強迫性障害というカテゴリーに分類されています。

強迫神経症の中には、統合失調症的なニュアンスを持つ人もいるようで、その場合は難治のケースが多いようです。

不安神経症

不安神経症には、大きくわけて2つのパターンがあります。

ひとつめは、漠然と何か悪いことが起こるのではないかと不安になり、不安になるんじゃないかと考えれば考えるほど落ち着かなくなってくる(予期不安)。そうした不安の対象が時とともに少しずつ変化していく慢性の不安状態を言います。DSM-4では、全般性不安障害に分類されています。

もうひとつのパターンは急性の場合で、いわゆる不安発作と呼ばれるものです。DSM-4では、パニック障害に分類されています。

発作が起きると、急に心臓がドキドキして、呼吸ができなくなったり、胸が苦しくなったりします。だんだんと目眩がしてきて、冷や汗も出てきます。そのうち、気が狂ってしまうのではないか? 死んでしまうのではないか?というところまで不安が強くなったりします。

他にも、身震いがしたり、ふらつく感じや、現実が現実でない感じ(離人症状)が起こったりすることがあります。こうした症状から、救急車で運ばれるケースも少なくありません。

そうした不安発作に襲われた結果、また発作が起きるのではないか?という予期不安が起こったり、発作が起こりそうな場所を恐がり避けるという恐怖症の状態になることもあります。

さらに、不安発作について思い悩んだり、発作が起こることを心配したり、いままで関係のなかったことまで不安に思えてくるなどの慢性の不安状態が続くようなこともあるのです。

最近、CMなどで流れている社会不安障害(SAD)も大まかに言うとここに含まれていると思います。

心気症 

身体には何も病気がないのに、なんだか身体が変な感じがする。何だか気になってしまって、医学的検査を受けたけれども問題はないと言われた。でも、やっぱり気になってしまう。あの先生はほんとうのことを言ってくれない。

もしかするととんでもない病気の前触れじゃあないのか? いやそうに違いない!・・・と、いろいろな病院を転々とし、誤った解釈をしつこく訴えるような状態を心気症と言います。

こうしたタイプの人たちは、もともと身体のことに気を使っている人や、大きな病気をしたことがある人が多いようです。

初めはまわりの人も心配してくれますが、あまりのしつこさに途中からは避けられてしまうこともあったりするようです。

また、身体の不調を訴えている場合でも、内蔵が腐ってしまう、内蔵がなくなってしまったというような訴えがなされる場合には、他の精神病である可能性があるので気をつける必要があります。

 

離人神経症

自分がない感じ、自分の身体がない感じ、この世界すら存在していないような感じがする。ご飯を食べても味がない、まるで自分が外部の傍観者になったような感じがする。

そのような状態が続くような状態を、離人神経症といいます。

ただし分裂病の初期や器質性の疾患の場合にも、似たような症状が出ることもあるので注意が必要でしょう。離人神経症の場合は、離人体験の間も現実検討はちゃんと保たれているのが特徴です。

離人神経症は、思春期、10代後半から20代前後の女の子に多い疾患です。しかし、軽いレベルでの一過的な離人体験を経験するのは、ごく普通のことといえます。

30~70%の若年成人が離人体験に近い「解離」体験を起こしていると推定されています。

DSMー4では、解離性障害の中の離人性障害として位置づけられていますが、どうも入れるところがないので無理やり分類したという感じがします。

ここでは触れていませんが、多重人格もDSM-4では解離性障害の中の解離性同一性障害として分類されています。

 

ヒステリー  

ヒステリーには、転換型と解離型の2つのタイプがあります。

転換型のヒステリーというのは、何らかの葛藤やストレスなどの「こころ」の問題によって、声が出なくなったり、腕や足が動かなくなったりする状態のことをいいます。

はじめは身体疾患との鑑別ができないために、神経内科や心療内科などに受診する場合も多いようです。

本人は、ヒステリーであることを説明しても、「こころ」の病気であることを認めなかったりもします。そこには疾病利得的なところも関わっていると考えられます。

また、このタイプの人は、ちょっと子どもっぽくなったり、ひどくなると赤ちゃんのような行動を示すこともあります。そして、まわりの人に無理難題を要求したりすることもあるようです。

転換型ヒステリーの人と接する場合、まわりの人は振り回されないように気をつけないといけません。要求を無理に聞いてあげても、まったく喜ばないことが多いです。

何でも言うことを聞いてあげるのではなく、ちょっと冷静に突き放したくらいのつき合い方がちょうどいいのかもしれません。ただし、ほんとうに聞いてあげるべきことは、親身になって聞いてあげてくださいね。

一方で、解離型のヒステリーは、意識がもうろうとなったり、「こころ」の問題が原因で記憶を思い出せなくなるようなことをいいます。

また、突然家庭や職場からいなくなって放浪し、昔のことを思い出せなくなったりするようなこともあります(解離性遁走)。まあ、記憶喪失と言ってしまってもいいのかもしれませんし、突然蒸発して別人として暮らしているようなこともまれにあるようです。

基本的には、強烈な心的ストレスを受けたときに生じやすいといわれています。ただし、器質性の障害があったり、薬物を乱用している可能性、また詐病の可能性も疑わなければならないでしょう。

DSM-4では、ヒステリーという用語は使われていません。

転換型のヒステリーは身体表現性障害の中の転換性障害に、解離型のヒステリーは解離性障害の中の解離性健忘、解離性遁走に分類されているようです

コメント